結婚へのチャンス
私の結婚

自らえらんだ生涯、新婚ニヵ月

私の結婚

自らえらんだ生涯
田中寿美子(評論.家〉
もうやがて三十年ちかくなるとはおどろく。私の結婚は、昭和六年十月、津田英学塾を出たその年の秋だった。卒業前から社会科学に興味をもちはじめていた私は、兄のクラスメートだった松本重治氏のお世話で、蝋山政道氏の主宰する東京政治経済研究所に助手として入った。専攻した英文学とはまるで方向ちがいだったけれど、うれしかった。ところが、そこには、東大の新人会で運動して浪人中の田中稔男がアルバイトに来ていて、私にひそかにマルクス主義の手ほどきをはじめた。彼はスマートでもハンサムでもなかったけれど、唯物弁証法やマルクス主義経済学はぐんぐんと私をひきつけた。研究所は、私がマルクス主義の勉強をするなら辞めろと警告した。私はマルクス主義のほうをえらび、そして田中との結婚をえらんだ。私には自分の理想を社会主義におくためには、田中との結婚が絶対のように、そのときは思えた。私は母や兄の反対をおそれて、家出という非常手段をとった。のちになって、自分の子どもを育てるようになってから、あのときに私がとった非常手段が、どのぐらい母に苦痛をあたえたろうかと深く思いやるようになったけれど、若い日の私は、母に対して冷酷だった。以来、私の三十年ちかい結婚生活は波らんにみちていたけれど、自らえらんだ生涯なのだから不平は言わない。いまの若い人たちは、もっと現実的だと思う。第一、どのような結婚をえらぶかは自分の権利としてみとめられているのだから、堂堂とその権利をつかえばいいのだ。だから、自分のえらんだ恋愛や結婚を、両親にあからさまに宣言し、同意を求めることができるのはしあわせなことだ。ただ、その場合にも、結婚とは、理想を共にする男女が、愛情と、肉体と経済生活をともにするものであることをはっきり知っていることだ。熱情だけでも、理想だけでもいけない、結婚はそれらをよく調和させた現実的なものだという覚悟が要るのである。

新婚ニヵ月ー呼び名をめぐってー
川喜多和子
「おただいに、何て呼ばれるのですか?」と、よく聞かれる。「呼び名は無いんですよ」と私たちは答える。いや、無いというより、決まっていないといったほうが、正しいかも知れない。時に応じて、ちがった名で呼んでいるのだから。たとえば、私は主人のことを「オジサン」と呼ぶ。年の割に若く見えるからだ。すると、彼も私の事を「オバサン」と呼ぶ。そして「オジサン」が気分次第で「オジイサン」や「イジワルジイサン」に変化したり、「オ兄チャン」に若返ったりする。また、「オバサン」のほうにも、「インチキオバサン」「デタメバアサン」というバリエーションがある。こうした呼び名を考えるのは、主人のほうがうわ手だ。まるくて、肥っている私に与えられた名は、「ハニワ」、「ソラマメ」、「コドモ」、「エクザジュレーテッド・ラビッツ・フェース。(誇張されたうさぎの顔)」、「ヌイグミル」(私がこめかみのことを、コミカメというので、私だったら、こういうだろうとのこと)、ETC。本名の「和子」は、まだ一度も彼の口から発声されない。また、私も彼の名を呼んだことがない。結婚してから、まだニヵ月しかたっていないのに、あだ名ばかり、無数にふえてしまった。一生のうちに、どれくらいあだ名がつくものか、私は楽しみにしている。夫君は大映俳優伊丹一三氏(二十七才)。夫人は二十才。お友だちの紹介で知り合って、二ヵ月目に結婚にゴールイン。\"要するに気が合ったから\"ということです。